これみよがし日記

感情の整理箱

価値観なんてあてにならない

昨日、恋愛についてパートナーに求める人間的資質について話していた。

パートナーに求めるものは?と聞くと、だいたい「性格が合う」「誠実さ」「容姿」など色んな基準が出てくる。その中でも「価値観」というワードも入っていたりする。価値観が合う人がいい。価値観が合えば上手くいくと思う。って無邪気な目をして言ってくる。価値観って何なんだろうか。価値観というぼんやりした輪郭をなぞってみた。

価値観

いかなる物事価値認めるかという個人個人評価判断。 

そうなんだ。どこに重きを置くかという個人的評価判断らしい。そしたらますます曖昧で揺らぐものではないか。価値観に頼っても、明日には個人の判断基準が変わってしまうこともあるから当てにならない。やはり価値観など合う合わないで決めてしまうのは惜しい気がする。

人間には基本的に変わらないものと変化してゆくものがある。変わらないもの(変わりにくいもの)の象徴として、人格、容姿があり、変化していくものとして、趣味嗜好、考え方などがある。

まず、人格。これはもうガチャガチャくらいの決め方で、持って生まれた遺伝と幼少期に過ごした環境で決まってしまう。小さい時の経験でほぼ決まってしまうのだ。同じ遺伝を持つ双子でも、育った環境が違えば人格も変わる。そんなもんだ。そして大人になってから変えるのは難しい。容姿に関してはお金をかければ変われるが、生まれた時には概ねは決まっている。歳をとれば変わるじゃないかと思うかもしれないが、老化は置いといたとして、骨格やパーツは変わらないので、変わらないということにする。

そして変わるものとして趣味嗜好。大人になってから食べられるものが増えるのはよく聞く話で、歳をとって変化する。可愛いものから綺麗なもの。渋いもの。好むものも変わってくる。自然な流れだ。考え方も同じで、人格は変えられないとしても、夜更かしから朝早く起きようとか、朝起きたら筋トレしようなど明日の予定は変えられる。行動と思考は無限大だ。人格をベースに考え方はそれぞれでやり方もやろうと思えば毎日変えられる。

価値観というものは後者に所属するもので、レディガガが好きでしたが、次の日ケイティペリーのライブに行ったらファンになりました、くらいの危うさがある。そんなものに頼っていいのだろうか。今日明日で変わってしまうものに縋ってては、自分が傷つくだけだ。何でそう思ってたのに違うの?何で変わっちゃったの?そもそも目の前にいる人が変わらない保証などないのだ。

それを踏まえてでも価値観がある人がいいって言えるならいいと思う。譲れないポリシーがあるなら貫き通せばいい。でもほとんどの人が、曖昧だ。そんな曖昧な揺らぎを愛せるなら、それがパートナーとして求めることなのではないだろうか。明日のことなんて分からない。価値観なんて捨てて、目の前の人と向き合うことの方がずっと大切かもしれない。