これみよがし日記

感情の整理箱

プーさんはずっとプーさん

この間、プーと大人になった僕を見た。というのももうすぐ上映期間が終わりそうだったので、映画館へ急いで駆け込んできた。プーさんだから、ちょっと幼児向けなのかな、でも大人になってるからな、どうだろうと気になってはいたので、ギリギリ間に合ってよかった。館内は子供と大人の半々くらい。平均したら20代という感じ。

この映画を見るのに、少し期待していたことがあった。プーさんが何もかも許してくれるような気がしていて、プーさんにすがる思いで映画館へ向かったのだ。プーさんの許しをもらいに行ったと言っても過言ではなかった。なんでこんな気持ちだったのか定かではないが、きっと仕事や生き方に不安があったんだと思う。自分のことだけれど、他人事だ。プーさんはいつも優しかったから、きっとまた傷ついた心を救ってくれる。そんな気がした。

見終わった頃には目に涙が溜まっていた。なんでこんなに泣いていたんだろう。ストーリーも何と無く予想はついていて、見てもあぁやっぱりそうだよねくらいにしか思えなかったけれど、それ以上に胸にくるものがあった。プーさんが画面の中で生きているだけで嬉しかったし、クリストファーロビンが大人になってもプーはプーでいてくれたことに感動していたのかもしれない。大人になるにつれて、理想や夢は削られて、人相応になってしまうことが多い。大人になるっていいこともあるけれど、ほとんどの人が子供でいた事を忘れがちになってしまう。昔拾ったドングリのことなどは記憶の外へ投げ出される。それを成長と呼ぶ人もいれば、老いと呼ぶ人もいる。子供の頃の純粋な気持ちでいるプーをみて泣いていたのかな。年相応になる美しさもあると思うけれど、やっぱり理想を追い求め続け、自分の孤独に向き合っている人の美しさが好きだ。どんなに八つ当たりされもプーはずっとプーのままだったから、きっとそのことに泣いていたんだろう。強く気持ちを持ち続けることはそう簡単ではないし、誰かの一声で一瞬にして崩れ去る脆さもある。だからそこ、この映画はストーリーよりもプーさんに会いたかったから、どんな物語であれ、プーさんのはちみつを食べて顔をべちょべちょにしている姿を見るためだけに映画館へ向かったのだ。何年先もプーさんは、プーさんなのだ。