これみよがし日記

感情の整理箱

東京へゆく。

今日もまた東京へ出張です。新幹線と夜行バス迷った挙句に、バスで行くことにしました。夜の街をふらふらするのが好きで、夜行バスの息苦しさの前に、夜の風にあたりながらどうでもいいことに思いを馳せている時の幸せ感はきっともう得られないだろうと思って、そうしている。夜行バス卒業に向けて懐かしんでいる。新幹線乗って、何食わぬ顔で大都市に降りたいんだよ、こっちは。来年からそうしようと思っている。今年は泥臭く生きようとね思っているので、とことん泥臭く生活してる。あーあ。明日の準備を最大限にしなきゃだ。今日話した大人の方は面白い人だったなぁ。最近、謙遜しすぎてしまって相手に申し訳なくなってきてしまう、どうしようもない状況になることが多くて、さらに申し訳なくなる、この現象に名前をつけたい。謙遜嫌悪ループ。もうなりたくない。謙遜嫌悪。後でビックチーズマック食べよう。

7月2日

夕方ごろから、焦って色々やらなきゃなって感じて、ちんたらしつつも家を出た。アァアアアアァ!くそたれが!お前はいつもギリギリにならないとできないやつなのか!バカ!そんなんだから、これまで就職とかうまくいってなかったんダロウ!しっかりセェ!心がそう叫んでたけど、無視して急いでミスドに向かう。とその途中に友達から電話が掛かってきた。何事かと思いつつ、久しぶりの再会といった感じで話を聞く。社会人は色々あるんだなぁ、なんてぼんやり考えながら、話を聞いてたけど、自分の方が余計なこと話してたかなぁと反省。ああいう時に聞く側に回らなきゃいけないのに、めちゃ冷静にまともなこと発してしまう私はダメ人間よ。次かかってきたら、ちゃんと聞こう。引き出せるところまで引き出さないとな。もう相手にされなくなっちゃうよな。電話が終わる頃にミスドに着いた。期間限定の増量されたカルピスを飲んだ。ちょっと甘ったるかった。

7月1日

もう7月か。夏真っ盛り。夏らしいこともできそうにないけど、お昼にみんなで食べたパスタのことを思い出すんだろう。机の上のお菓子とか、誰かが出張で持ってきたお土産を分け合ったり、人の生き様を聞いたり、そんなこともう一生ないんだろうなってたまに思う。それでもふと置いてきた優しさが、誰かに感染して、幸せな気持ちになっているとするならば、もう十分だよなぁ。もうすぐ終わりを迎える。それまでしっかりと地面に足の裏つけて生きていこうな。油断せずに。

時の流れに身を任せ

ついつい忘れてしまいそうになる。ここに書くこともそんなにあるわけではないけれど、それでも文字をつないでいくことは今の自分には必要な気がしている。今日の気温や体調、歩いた道。そんなこともきちんと記録しておかないと忘れ去られてしまうようで寂しい。特に自分の1日だったら尚更だ。自分しか知らないから。藤井四段が29連勝したり、真央さんが他界したり、世間は目紛しい速さで時が進んでいる。少しも待っちゃいてくれない。きっと明日には誰かが勝ったことも、新しい科学が生まれていても、1週間後には覚えていないんだ。少し肌寒い現実に、この地球上では、誰かが嘆いていて、誰かが賞賛していて、誰かが絶望している。誰もが納得のいく世界なんてないんだけど、そんな世界を愛していつの日か夢みててもいいんじゃないかな。

今日食べたミスドのカレードーナツおいしかったな。面接の帰りに飲んだオレンジジュース、ちょっぴり切なくて酸っぱかったな。駅前で見つけたセブンティーンアイスの自販機、錆びれててよかったな。駅のホームで食べるアイスおいしかったな。

記憶の断片を1つずつ丁寧に貼り付ける。重ならないように。無くさないように。

駅のベンチに座ってアイスを食べていた時に、目の前にある、ただただ普通のホームの景色なんだけど、とても懐かしく感じた。地元の駅のホームに少しだけ似ていた。小さくて、時代のせいで駅の改造をしてちょっぴり新品のゴミ箱とかあるんだけど、外観は変わらなくて昔のまま。きっとこの駅も昔からこんな感じで、この土地に長く居座っていたんだろう。大御所感は出さずに、そこにいる。ただそこにいるんだ。私はこの一瞬しか知らないけれど、駅はずっとこの街を知っていて私の知らないところできちんと歴史が積み重なっていると気づくと、嬉しくなった。たかが、各駅。されど、各駅。

そんなことを思っていたら、アイスの最後のコーンを食べ終える頃、電車の踏切の音が鳴り始めた。電車のガタンゴトンという合図が迫ってくる。私は、コーンを口の中に入れたまま、電車が来る方へと歩いて行った。横から見るホームは、やっぱり地元の駅にそっくりだった。

立てば芍薬、座れば牡丹、歩けば百合の花

この間、芍薬を買って家に持ち帰った。すでに咲きそうなもの、咲いているものあったけれど、蕾のままのものを選んだ。花瓶に合わせて、茎を調整してもらった。今日から花瓶にずっといてくれるのか。そう考えると、なんだか少し申し訳ない気持ちになった。ちゃんと伸び伸び生きれるように、寂しくないように、暮らさないとな。包んでもらっている間、私の背筋がピンと伸びた気がした。店員さんから包装してもらった芍薬を手にぶら下げながら、いつもの帰り道を歩いた。一人暮らしで、いつも朝や寝るときは一人だ。夜の静けさを共に過ごしてくれる人などいない。かといって、誰かとずっと居たいというわけでもないのだから厄介だ。人間には程よいものなどない。誰かの優しさに甘えてズブズブに埋もれていくことも、誰にも頼らずに生きることも、多分ダメだ。その間をいける程、私は器用ではなかったことに気付き、今は夜を孤独に過ごしている。

辺りが段々と赤く染まってきた。手元の芍薬も赤く染まっていて、恥ずかしそうだった。私の方が緊張してるのにな。日が落ちる前に急ぎ足で帰った。

家に戻ると、急いで花瓶を用意した。夏の暑さで水分が蒸発しているのではないか心配だった。冷たい水を注ぎ、芍薬を挿した。茎がしゃんと立っており、もしかしたら水がなくても生きていけるのかなと思わすくらい、まっすぐに伸びていた。

「君はどこにいるの?」

芍薬に聞いてみた。当たり前ではあるんだけど答えるはずもなく、ただただちゃんと胸を張っていた。そんな質問をした自分の情けなさに憤りを感じつつも、芍薬は私をずっと見つめていた。

夕ご飯を作っている最中に、別の部屋からガタッと重たい音がした。急いで火を止めて向かうと、芍薬の花瓶が不安定に揺れていた。何が起こったのか全くわからず、あたりを見渡して見ると、花瓶の間にチラシが挟まっていた。慌てて水を入れたものだから、きっと置く場所をちゃんと見てなかったんだ…。そう思って、また花瓶を平らな上に移動させてその場を後にした。

コンロの前に戻ってきた瞬間に、向こうの部屋からガタッとさっきよりも鈍い音が聞こえてきた。さっき直したはずの花瓶の音がしたことに寒気がしながらも、様子を見に走った。するとそこには、芍薬が倒れており、花瓶から水が大量に溢れかえり、床はビチョビチョになっていた。慌てて布巾を持ってきて、溢れ出した水を急いで拭き取った。あぁ、なんでこんなことになってしまったんだろう。誰も倒す人なんているはずないのに。

倒れている芍薬は、水のせいで机にべったりと花びらがくっついていた。事故で衝突した後、人がぐったりしているかのようだった。水の表面張力に気をつけながら、私は芍薬を手に取り、水気を優しくふき取る。誰のせいでもないが、なんだか自分に非があるような気がして、防げなかった罪悪感でいっぱいになっていた。

「ごめんね、救ってあげられなくて。」

そう声をかけるも、事が起きてしまったことに対して飲み込めていないために、気持ちは全く上の空だ。

この部屋には誰もいないのに、勝手に倒れる花瓶と、倒れても起き上がることのできない芍薬。この2つが虚しく部屋の隅で横たわっているのを見るだけで胸が痛くなった。なんでこんなことになってしまったんだろう。芍薬だって、連れて帰られた家がこんなところだなんて思ってもいなかっただろう。水を多く含んだ布巾がやたら重く感じた。

翌日、花瓶の水を変えるために、台所に花瓶を持っていった。芍薬はとても水の吸いが速く、花瓶に入っていた半分くらいなくなっていた。これはすぐに水を入れてあげなきゃ。そう思って、冷たい水を花瓶に注いだ。

「今日も元気に育つといいね」

まだ咲ききっていない蕾のまま、しゃんと立っていた。

私は、仕事に向かう支度をし、朝食を食べ、学校へと向かった。いつも通り授業を受けた。数式を解説する先生の眠たそうな声さえも、かき消すくらい私の頭の中は、今朝の芍薬でいっぱいだった。なんでだろう。また勝手に花瓶が倒れて、今度は割れてしまわないだろうか。芍薬さえも床に落ちて茎が折れないだろうか。要らない心配ばかりが頭の中でぐるぐる回っていた。友達にも、今日いつもと違って落ち着きないね、なんて言われて、内心とても焦っていた。私の芍薬。私の芍薬、死んでしまわないで。

夕方になり、駆け足で家に向かった。まだ陽は落ちていない。夕日が私の背中を赤く照らしてくる。 朝から感じていた不吉な予感はますます大きくなっていた。家の玄関のドアを開けた時、1片の花びらが落ちていたのが見えた。荷物を脱ぎ捨て、急いで部屋の中に入ると、そこにはピンクの絨毯が広がっていた。

「……散っている?」

私の目の前には、咲き終えた花びらたちが、1つに集合しているかのように厚く重なっていた。机の上には、1本の太い茎が花瓶にすらっと残っていて、花の部分だけが地面に落ちていた。花がなくなった茎は、花瓶に迷惑かけないようにとまっすぐに伸びていた。

「綺麗な瞬間、見届けられなかったのね。立てば芍薬なんて誰が言ったのよ。そんな瞬間なかったじゃない…。」

集まっていた花びらは、バラバラになってはいたが少しだけ暖かく感じた。

この思いはどこへ行けば

またお祈りメールを頂いてしまった。ここ最近祈られ続けている。祈ることが綺麗な終わり方だと思われている節があるが、それは祈る側の話であって、祈られている側は全く嬉しくないし、胸に変な違和感が残る。そんな綺麗に終わらせないでよ。ダメな理由があったのになかったことにしないでよ。あのやり取りの間で何かを感じて、やめようと思ったまでの過程をもみ消して、そこには何もありませんでした、ほら、綺麗なままでしょう?君は見てなかったんだよ、ってさ、そんなの受け入れられない。ダメであった事実まで消されてしまいそうで嫌になる。自分のもがいた足跡は、誰かの手によって綺麗に整備されて、後ろを振り返っても綺麗なままだ。自分の心にだけ少し傷がついて、その傷が悪化しないように自分の手で覆い隠す。次の人に見られたら、どうしたの?その傷は?って聞かれて、傷を見せなければならない。どうしようもなくボロボロになっている自分をイキイキしている人に見せなければ疑われる。君は元気のない子なの?

そんな日の繰り返しで、あれから自分は成長しているのだろうか。本当は何も変わっていなくて、未熟なままでいるのだろうか。そもそも考えていることがおかしいのだろうか。何度も自分に問い詰めても返ってくる答えは同じで、間違ってないよって。ならば見せ方がおかしいのか、どうなのか。今いる自分でなくて、過去の自分の、特に悪いところを重点的に見て、悪いと認識する人ならば、きっと合わないだろうな。欠点こそがその人の人柄であって、その人を表しているものではないか。上手く話せなくてすぐに言葉に出てこない人なら、しゃべりが下手で納得するのではなくて、言葉を大切にしているからそう簡単に言葉で言い表せない。だから少し時間をあげればいいものを出してくる可能性があるとか。何も考えてない人だったら、その場にいる人をすぐにでも盛り上げたいからその場を重要視しているとか。そんなの知ろうと思わなければ知ることもないことだなぁとしみじみ思う。面接の対応には問題ないと言われているからこそ辛くって、休学していることがダメなことで、受け入れられないのだとしたら、生きていける気がしないな。諦めないで頑張るしかないんだけど、頭でわかっていても心が追いつかない。体はここにあるのに、現実は遠くに存在しているように見える。受け止めるには小さすぎる体なのかもしれないな。手も足もちゃんと動いて、ご飯を食べる気力があるということだけが、生きている証拠。それだけが支えです。

説得力の話と、アウフヘーベン。

誰かを納得させることって簡単だっけ?私は今までの人生で人を納得させたことがあっただろうか。でも私が精一杯お願いしたことは外したことがない気がした。最近の話だと、企業の志望動機をスラスラ言えて、面接官の人にウンウンって頷かせるもの言えていない。この差はなんだろう。多分人のことだからだろうな。利益を目当てにしているもの。芸術性のないもの。誰かの思いがこもってないもの。これに関しては全く興味が持ててないのかもね。ただのもの。物質としてのもの。誰かの悩んで悩んで悩み抜いた仕事は直感的に分かる。きっとたくさん捨てて選別してできたものは他のものとは少し温度が違う。だって動機なんて、みんななんて言ったか覚えてないでしょ?そんな一時的なもので熱意を図られるなんて、これは儀式なの?圧倒的に手を動かしている人が優勝する世の中であってほしい。そんな一人の儚い願いもどこかに引っかかる世界があればいいな。優しくてあったかいホットミルクな世界。白くて滑らかで、安心する世界。

きっとこんな戯言も、少し後に見たら、がっかりするのかな。何言ってんねんって。

今日はずっとES書いて、Twitterに流れてきた、アウフヘーベンについて考えていた。

アウフヘーベン:モノやコトが否定を通じて、新たな・より高次元のモノやコトへと再生成されるというプロセス

難しい。花の例題があって、肯(テーゼ):美しい姿、否(アンチテーゼ):枯れた姿、で事実に内在する対立から、導かれるもの。これをアウフヘーベンというらしい。ぼんやりとは理解したけど、細かいところまでは分かってない。でもドイツにこんな概念があるなんて知らなかった。ヘーゲル提唱なんだね。ニーチェくらいしか読んだことがないから、今度新たな概念手にいれるために見てみよう。最近、お、って引っかかることが大体ヨーロッパ近辺の話で、そっちの人と仲良くなれるんじゃないかって密かに思っている。ドイツ人やフィンランド人と話してみたい。絶対素敵だろうな〜。フィンランドとドイツは一度行ってみたい国だ。きっと住んでいる人たちの暮らしの豊かさレベルが高いと思う。日本よりも幸福度は高いし、何か秘密があるんじゃないかって気になっている。日本でもそういうバーとかあったら行ってみようかな。新たな扉が開きそうで、ワクワクだ。アーーーーーー、幸福落ちてこないかな。