これみよがし日記

感情の整理箱

クリスマスと思い出。

年末、サンタさんが運んでくれたのは少しの寒気と風邪でした。こんばんは。
喉の奥がヒリヒリして、飲み込むと痛いくらいには腫れている。何を食べるにしても、痛さの方が優ってしまい、味がしない。食べる楽しみさえもなくなってしまったクリスマス。みなさんは真っ白いケーキとか照り焼きのチキンを食べてるんでしょうか。サンタさん、明日でもいいからほんまに喉かえといて?
いつもよりも人々の距離が5センチくらい近い中、私は一人ライトアップされた木々の下に立っていた。行き交う人々の足取りが軽い。マスクの間から入ってくる風がひんやりする。今はそんなことないけれど、昔クリスマスが好きじゃなかった。というよりは、本当は好きだったけど、嫌いになるしかなかったという方が正しいのかもしれない。なんで嫌いだったのか。嫌いになりたくなくても嫌いになるしかない環境がそこにあったから。遡ること、高校生の時、私は恋多き乙女だった。顔がタイプで好きになったこともあるし、話していてあー好きかもと落ちることもあれば、話したことないけど話している姿を見て恋したこともある。つまり、なんとなく自分の好みであればどんなに顔がカッコ悪くても、私服がダサくても、なんでもありだった。(当時、恋がうまくいったことはなかった。)三人に一人、恋してるような自分だったけど、それは寒さと視界の狭い世界で過ごしたからそうなってしまった気がしている。あの時学校がすべてで、外の世界を知らなかった私は、恋愛が人生を華やかなものにしてくれると本気で思っていた。それは間違っているとは思わないけど、今でもあったら間違いなく人生を潤してくれる要素の一つくらいには思っている。そんな偏見の鎧を被っていた私は、恋することが幸せを手に入れる近道だと思い、果敢に恋というものと向き合っていたのだ。その象徴的イベント、クリスマスは私にとっては大事なものだったし、そこでしか得られない幸せがあると信じていた。いつか大好きな人とケーキを囲んで賑やかなパーティーをするんだ。好きな人と過ごすクリスマスはさぞかし楽しいものなのだろう。家族とケーキを食べながら、いつかの妄想を膨らませていた。空想のクリスマスとは違い、現実は全く違った。外は猛吹雪が体を直撃し、早く帰らないと凍えて死んでしまいそうになるし、好きな人に好きと伝えても反応は吹雪よりも寒かった。何回チャレンジしてもうまくいかない。恋が実ることはなかった。何をしても上手くいかない、恋という人生イベントに辟易していた。なんでこんなにも上手くいかないのだろう。たった二人、好きを確認し合うだけのことなのになんで自分はできないのだろう。サンタさんという架空のおじさん、イチゴの乗ったケーキ。枕元にあるプレゼント。全部好きだったのに、恋というものがあるせいで毎年クリスマスが来ることが憂鬱になっていた。あの狭くて窮屈な世界の記憶は今もなお脳裏に感情とともに焼き付いている。
あれから数年経った今、クリスマスのことは好きになれている。昔よりも純粋な気持ちで楽しめている。恋なんかしなくても、二人で寄り添わなくても、クリスマスは楽しんでいいのだ。好きな友達といてもよし、家族といてもよし、イルミネーションの下に一人でいてもいいのだ。そんな簡単なことに気づくのにたくさんの時間がかかってしまったけれど、あの時信じてた世界のことは憎んでいない。目の前に映っている無数の光が綺麗だなぁと思えるくらいには大人になった。いや、大人になった気がしてるだけなのかもしれない。今でも真っ白なケーキと枕元にあるプレゼントには興奮する。