アポ日記

感情の整理箱

この思いはどこへ行けば

またお祈りメールを頂いてしまった。ここ最近祈られ続けている。祈ることが綺麗な終わり方だと思われている節があるが、それは祈る側の話であって、祈られている側は全く嬉しくないし、胸に変な違和感が残る。そんな綺麗に終わらせないでよ。ダメな理由があったのになかったことにしないでよ。あのやり取りの間で何かを感じて、やめようと思ったまでの過程をもみ消して、そこには何もありませんでした、ほら、綺麗なままでしょう?君は見てなかったんだよ、ってさ、そんなの受け入れられない。ダメであった事実まで消されてしまいそうで嫌になる。自分のもがいた足跡は、誰かの手によって綺麗に整備されて、後ろを振り返っても綺麗なままだ。自分の心にだけ少し傷がついて、その傷が悪化しないように自分の手で覆い隠す。次の人に見られたら、どうしたの?その傷は?って聞かれて、傷を見せなければならない。どうしようもなくボロボロになっている自分をイキイキしている人に見せなければ疑われる。君は元気のない子なの?

そんな日の繰り返しで、あれから自分は成長しているのだろうか。本当は何も変わっていなくて、未熟なままでいるのだろうか。そもそも考えていることがおかしいのだろうか。何度も自分に問い詰めても返ってくる答えは同じで、間違ってないよって。ならば見せ方がおかしいのか、どうなのか。今いる自分でなくて、過去の自分の、特に悪いところを重点的に見て、悪いと認識する人ならば、きっと合わないだろうな。欠点こそがその人の人柄であって、その人を表しているものではないか。上手く話せなくてすぐに言葉に出てこない人なら、しゃべりが下手で納得するのではなくて、言葉を大切にしているからそう簡単に言葉で言い表せない。だから少し時間をあげればいいものを出してくる可能性があるとか。何も考えてない人だったら、その場にいる人をすぐにでも盛り上げたいからその場を重要視しているとか。そんなの知ろうと思わなければ知ることもないことだなぁとしみじみ思う。面接の対応には問題ないと言われているからこそ辛くって、休学していることがダメなことで、受け入れられないのだとしたら、生きていける気がしないな。諦めないで頑張るしかないんだけど、頭でわかっていても心が追いつかない。体はここにあるのに、現実は遠くに存在しているように見える。受け止めるには小さすぎる体なのかもしれないな。手も足もちゃんと動いて、ご飯を食べる気力があるということだけが、生きている証拠。それだけが支えです。