これみよがし日記

感情の整理箱

立てば芍薬、座れば牡丹、歩けば百合の花

この間、芍薬を買って家に持ち帰った。すでに咲きそうなもの、咲いているものあったけれど、蕾のままのものを選んだ。花瓶に合わせて、茎を調整してもらった。今日から花瓶にずっといてくれるのか。そう考えると、なんだか少し申し訳ない気持ちになった。ちゃんと伸び伸び生きれるように、寂しくないように、暮らさないとな。包んでもらっている間、私の背筋がピンと伸びた気がした。店員さんから包装してもらった芍薬を手にぶら下げながら、いつもの帰り道を歩いた。一人暮らしで、いつも朝や寝るときは一人だ。夜の静けさを共に過ごしてくれる人などいない。かといって、誰かとずっと居たいというわけでもないのだから厄介だ。人間には程よいものなどない。誰かの優しさに甘えてズブズブに埋もれていくことも、誰にも頼らずに生きることも、多分ダメだ。その間をいける程、私は器用ではなかったことに気付き、今は夜を孤独に過ごしている。

辺りが段々と赤く染まってきた。手元の芍薬も赤く染まっていて、恥ずかしそうだった。私の方が緊張してるのにな。日が落ちる前に急ぎ足で帰った。

家に戻ると、急いで花瓶を用意した。夏の暑さで水分が蒸発しているのではないか心配だった。冷たい水を注ぎ、芍薬を挿した。茎がしゃんと立っており、もしかしたら水がなくても生きていけるのかなと思わすくらい、まっすぐに伸びていた。

「君はどこにいるの?」

芍薬に聞いてみた。当たり前ではあるんだけど答えるはずもなく、ただただちゃんと胸を張っていた。そんな質問をした自分の情けなさに憤りを感じつつも、芍薬は私をずっと見つめていた。

夕ご飯を作っている最中に、別の部屋からガタッと重たい音がした。急いで火を止めて向かうと、芍薬の花瓶が不安定に揺れていた。何が起こったのか全くわからず、あたりを見渡して見ると、花瓶の間にチラシが挟まっていた。慌てて水を入れたものだから、きっと置く場所をちゃんと見てなかったんだ…。そう思って、また花瓶を平らな上に移動させてその場を後にした。

コンロの前に戻ってきた瞬間に、向こうの部屋からガタッとさっきよりも鈍い音が聞こえてきた。さっき直したはずの花瓶の音がしたことに寒気がしながらも、様子を見に走った。するとそこには、芍薬が倒れており、花瓶から水が大量に溢れかえり、床はビチョビチョになっていた。慌てて布巾を持ってきて、溢れ出した水を急いで拭き取った。あぁ、なんでこんなことになってしまったんだろう。誰も倒す人なんているはずないのに。

倒れている芍薬は、水のせいで机にべったりと花びらがくっついていた。事故で衝突した後、人がぐったりしているかのようだった。水の表面張力に気をつけながら、私は芍薬を手に取り、水気を優しくふき取る。誰のせいでもないが、なんだか自分に非があるような気がして、防げなかった罪悪感でいっぱいになっていた。

「ごめんね、救ってあげられなくて。」

そう声をかけるも、事が起きてしまったことに対して飲み込めていないために、気持ちは全く上の空だ。

この部屋には誰もいないのに、勝手に倒れる花瓶と、倒れても起き上がることのできない芍薬。この2つが虚しく部屋の隅で横たわっているのを見るだけで胸が痛くなった。なんでこんなことになってしまったんだろう。芍薬だって、連れて帰られた家がこんなところだなんて思ってもいなかっただろう。水を多く含んだ布巾がやたら重く感じた。

翌日、花瓶の水を変えるために、台所に花瓶を持っていった。芍薬はとても水の吸いが速く、花瓶に入っていた半分くらいなくなっていた。これはすぐに水を入れてあげなきゃ。そう思って、冷たい水を花瓶に注いだ。

「今日も元気に育つといいね」

まだ咲ききっていない蕾のまま、しゃんと立っていた。

私は、仕事に向かう支度をし、朝食を食べ、学校へと向かった。いつも通り授業を受けた。数式を解説する先生の眠たそうな声さえも、かき消すくらい私の頭の中は、今朝の芍薬でいっぱいだった。なんでだろう。また勝手に花瓶が倒れて、今度は割れてしまわないだろうか。芍薬さえも床に落ちて茎が折れないだろうか。要らない心配ばかりが頭の中でぐるぐる回っていた。友達にも、今日いつもと違って落ち着きないね、なんて言われて、内心とても焦っていた。私の芍薬。私の芍薬、死んでしまわないで。

夕方になり、駆け足で家に向かった。まだ陽は落ちていない。夕日が私の背中を赤く照らしてくる。 朝から感じていた不吉な予感はますます大きくなっていた。家の玄関のドアを開けた時、1片の花びらが落ちていたのが見えた。荷物を脱ぎ捨て、急いで部屋の中に入ると、そこにはピンクの絨毯が広がっていた。

「……散っている?」

私の目の前には、咲き終えた花びらたちが、1つに集合しているかのように厚く重なっていた。机の上には、1本の太い茎が花瓶にすらっと残っていて、花の部分だけが地面に落ちていた。花がなくなった茎は、花瓶に迷惑かけないようにとまっすぐに伸びていた。

「綺麗な瞬間、見届けられなかったのね。立てば芍薬なんて誰が言ったのよ。そんな瞬間なかったじゃない…。」

集まっていた花びらは、バラバラになってはいたが少しだけ暖かく感じた。

この思いはどこへ行けば

またお祈りメールを頂いてしまった。ここ最近祈られ続けている。祈ることが綺麗な終わり方だと思われている節があるが、それは祈る側の話であって、祈られている側は全く嬉しくないし、胸に変な違和感が残る。そんな綺麗に終わらせないでよ。ダメな理由があったのになかったことにしないでよ。あのやり取りの間で何かを感じて、やめようと思ったまでの過程をもみ消して、そこには何もありませんでした、ほら、綺麗なままでしょう?君は見てなかったんだよ、ってさ、そんなの受け入れられない。ダメであった事実まで消されてしまいそうで嫌になる。自分のもがいた足跡は、誰かの手によって綺麗に整備されて、後ろを振り返っても綺麗なままだ。自分の心にだけ少し傷がついて、その傷が悪化しないように自分の手で覆い隠す。次の人に見られたら、どうしたの?その傷は?って聞かれて、傷を見せなければならない。どうしようもなくボロボロになっている自分をイキイキしている人に見せなければ疑われる。君は元気のない子なの?

そんな日の繰り返しで、あれから自分は成長しているのだろうか。本当は何も変わっていなくて、未熟なままでいるのだろうか。そもそも考えていることがおかしいのだろうか。何度も自分に問い詰めても返ってくる答えは同じで、間違ってないよって。ならば見せ方がおかしいのか、どうなのか。今いる自分でなくて、過去の自分の、特に悪いところを重点的に見て、悪いと認識する人ならば、きっと合わないだろうな。欠点こそがその人の人柄であって、その人を表しているものではないか。上手く話せなくてすぐに言葉に出てこない人なら、しゃべりが下手で納得するのではなくて、言葉を大切にしているからそう簡単に言葉で言い表せない。だから少し時間をあげればいいものを出してくる可能性があるとか。何も考えてない人だったら、その場にいる人をすぐにでも盛り上げたいからその場を重要視しているとか。そんなの知ろうと思わなければ知ることもないことだなぁとしみじみ思う。面接の対応には問題ないと言われているからこそ辛くって、休学していることがダメなことで、受け入れられないのだとしたら、生きていける気がしないな。諦めないで頑張るしかないんだけど、頭でわかっていても心が追いつかない。体はここにあるのに、現実は遠くに存在しているように見える。受け止めるには小さすぎる体なのかもしれないな。手も足もちゃんと動いて、ご飯を食べる気力があるということだけが、生きている証拠。それだけが支えです。

説得力の話と、アウフヘーベン。

誰かを納得させることって簡単だっけ?私は今までの人生で人を納得させたことがあっただろうか。でも私が精一杯お願いしたことは外したことがない気がした。最近の話だと、企業の志望動機をスラスラ言えて、面接官の人にウンウンって頷かせるもの言えていない。この差はなんだろう。多分人のことだからだろうな。利益を目当てにしているもの。芸術性のないもの。誰かの思いがこもってないもの。これに関しては全く興味が持ててないのかもね。ただのもの。物質としてのもの。誰かの悩んで悩んで悩み抜いた仕事は直感的に分かる。きっとたくさん捨てて選別してできたものは他のものとは少し温度が違う。だって動機なんて、みんななんて言ったか覚えてないでしょ?そんな一時的なもので熱意を図られるなんて、これは儀式なの?圧倒的に手を動かしている人が優勝する世の中であってほしい。そんな一人の儚い願いもどこかに引っかかる世界があればいいな。優しくてあったかいホットミルクな世界。白くて滑らかで、安心する世界。

きっとこんな戯言も、少し後に見たら、がっかりするのかな。何言ってんねんって。

今日はずっとES書いて、Twitterに流れてきた、アウフヘーベンについて考えていた。

アウフヘーベン:モノやコトが否定を通じて、新たな・より高次元のモノやコトへと再生成されるというプロセス

難しい。花の例題があって、肯(テーゼ):美しい姿、否(アンチテーゼ):枯れた姿、で事実に内在する対立から、導かれるもの。これをアウフヘーベンというらしい。ぼんやりとは理解したけど、細かいところまでは分かってない。でもドイツにこんな概念があるなんて知らなかった。ヘーゲル提唱なんだね。ニーチェくらいしか読んだことがないから、今度新たな概念手にいれるために見てみよう。最近、お、って引っかかることが大体ヨーロッパ近辺の話で、そっちの人と仲良くなれるんじゃないかって密かに思っている。ドイツ人やフィンランド人と話してみたい。絶対素敵だろうな〜。フィンランドとドイツは一度行ってみたい国だ。きっと住んでいる人たちの暮らしの豊かさレベルが高いと思う。日本よりも幸福度は高いし、何か秘密があるんじゃないかって気になっている。日本でもそういうバーとかあったら行ってみようかな。新たな扉が開きそうで、ワクワクだ。アーーーーーー、幸福落ちてこないかな。

バス停の錆び

朝からバタバタだった。テスト受けて、カツ丼食べて、お茶飲んで、面接行って、書類提出した。文字に書き出すと大した用にも思えないけれど、実際はそうでもない。淡々と過ごしてるようで、意外と動いている。3キロ間隔くらい。ヒールで歩きたくないから、バスを使って梅田まで行って、梅田から電車で移動する。行ったことのない土地へ電車に揺られながら、不安に駆られる。電車間違えてないかな。前回、そろそろ着くやろって思って、乗ってたら全然知らない駅の名前アナウンスされてて降りたら、全く知らない景色が広がってたことあるから、なおさら気にする。何度も確認しても無理な時は無理よねえ。ちゃんとできる人ってなんやろねえ。そういう性質なの?なんなの?どうなってんの?

何回も受けたりしているけれど、面接で何を求めているのかとかそういう細かいところを気にして、テンパる時もあったりして、また上手くいかなかったななんて帰り道に振り返って反省する。空も心なしかどんよりしてる。たまたま一緒になった人たちと終わった後に仲良くなったりして、近況とか話す。そんな感じですよねーなんて言いながら、みんな未来を見つめたりしていて、葛藤している。そんな姿を見ながらも、自分も頑張らないかんなぁなんて我に返る。

上手くいかなくて、受けるところ変えたら、すっと受かるようになって。

流れ着くところに流れて、終えるんだろう。自然の摂理には逆らえなくて、きっと自分にできることしかできない。限界を超えるのは、生まれ持った才能であり、それを磨くくからよね。そうだよね。明日から一生懸命に生きようね。君もあなたも、これからも。

知らない場所へ行くことが多いから、道ゆく景色の写真を撮ることが最近の日課で、特に寂れた景色が好きでよく撮っている。バス停の目印看板が錆びているのを見ると、ちゃんとそこに暮らしがあったんだって認識できるから、私はそれだけで安心するのだ。錆びることはあんまり良しとされないけれど、長く生きなければ錆びてこないんだよ。どんなことがあっても、2本の足で生活した後がある限り、まだ希望があるんだ。電柱の錆びも、アパートの錆びも、そう。誰かが住んでいるって事実が愛おしいんだよね。人間だから、ちゃんと錆びていきたい。綺麗なままでいるよりずっとずっと。

雑務とこれからの未来のこと。

ずっと雨だったから、今日は久しぶりに晴れた。雨のせいで、部屋も外もジメジメしてたから、全く気持ちが乗らなくて、なんとなく活気がなかった。太陽の光って大事なんだね。浴びるだけで、絡まっていた糸が解け始めるんだから。日曜日だからと言って、遅く起きるわけでもなく、早く起きるわけでもなく、なんとも微妙な時間に起きた。損も得もしなかった。昨日、夜遅くまでラジオ聞いてたから、寝たの朝だし。今日は就活の準備をしなければならないのだ。エントリーシートや面接のために色々と雑務がある。もうやめてもいいんだけど、生きやすい環境を求めて、ちゃんと息ができそうな場所を探してる。そんな場所あるのかな。どこに行っても楽園なんてありそうには思えないけど、楽園までいかなくても2本の足で立てるような、生活に組み込めるような会社があればいいなって。自分がこんなにも繊細な感じだとは思わなかった。あんなに自分を掘り下げたけど、それでも分からないことも多い。掘り下げれば掘り下げるほど、自分ではない気がして、嫌になって、落ち込む。まさに社会の洗礼といったところでしょうか。面接向いてないなぁって思うわけです。会社辞めてくるという映画もできるくらいには、会社生活は深刻で目を背けられない。僕たちは新しい未来を作っていくと信じて生きているはずなのに、作る前に廃れそうになっている。生きていくのも辛い社会なんて壊していかなきゃ。生きづらい人の前に、少しでも救いの光が差し込んでいますように。

そんなこんなで、休憩がてら昼食食べながら撮りためたドラマとか見たり。昨日の聞きそびれたラジオの続き聞いたり。残っていたお菓子食べ切ったり。本返しに行ったり。洗濯したり。

家でテスト受けて、書いて、予定立てて、今週を眺めてみる。あぁ早く終わりたいな。ゆっくり本読んで、好きな勉強して、好きな音楽聴いて、奏でて、寝る。何もなくていいから、時間がゆっくり流れる過ごし方がしたい。誰にも邪魔されない最高な時間。全てが終わったら旅行もしよう。そうしよう。

空気のよめない大人

昨日、応募した寄席が当たったメールがきた。なんとなく応募したので、なんとなくあー当たったんだーへぇーという他人事だったけど、日付を見ると明日の話で、急に現実味を帯びた。前日に当選メール送るなよって思ったけど、暇だし、落語聞きたいし、行くことにした。箕面までだったので、中々良い交通手段がなく、仕方なくチャリで行くことになった。ずっと徒歩生活をしていたから、チャリがちゃんと動いてくれるのか不安もありつつ、出発。前々からよく空気の抜けるチャリで、毎回憂鬱な気持ちになるから避けていた。(近くにも自転車屋ないからね)案の定、空気は抜けてガッタガタ。寄席に向かう前に、借りていたバカリズムのdvdを返しに行かなくてはならず、ガタガタ地獄。昨日返しとけばよかったな。昨日の自分を恨みつつ、寄席に直行した。あまりにも揺れるのでお尻も心配になってきた。微かな記憶を頼りに自転車屋を探すことに。多分、通り道にあったよなぁなんて思いながら、見つける。あたりを見渡すと、なんと外に空気入れが置いてあるじゃないか。自分の自転車をそそくさとセットし、ウッキウキで空気入れる穴に挿した。ワクワクしながら様子を見ていた。しかし、数秒入れても、満タンにならない。タイヤがパンパンにならない。どうやらおかしい。入れる穴を確認すると、自分の持っているチャリは差し込み口が、この空気入れとは違うようだった。どういうことやねん、と思いながら、振り返って注意書きをよく読んで見る。

差し込み口が異なるお客様は店員までお申し付けください。

ははぁ〜ん、なるほどね、そういう人もいるよね、なんて納得しつつ、店内へ向かう。

スイマセーン、空気入れてもらってもいいですか?

優しいそうな店員さんの手に渡り、すぐに入れてもらった。内心助かったと思いつつ、ホッとしていると、帰り際に、

ちゃんとこまめに空気入れるようにしてくださいね。

と釘を刺される。放置していたことの罪悪感が胸に深く突き刺さりながら、寄席に向かった。初めての場所ということで、少しもたつきつつ到着。自転車を止めようとした時、変な音がした。嫌な予感がする。最悪なケースが脳裏によぎる。ゆっくりとタイヤの方を見てみると、タイヤが地面と平行に潰れていた。やっぱりパンクだったか…。私の無駄な祈りはあっけなく散った。いやうそでしょ。さっき入れたはずなのに。うぅ。

とりあえず、公演がもうすぐ始まるからこれは終わってからどうにかしよう…。

重い石を背負いながら、落語を聴くことになるなんて思ってもいなかった。ジメジメしたモヤっとした気持ちと共に開演。それさえも忘れるくらい笑いありの寄席だった。これに関してはまたいつか書きたいな。帰り、駐輪場に戻ると、すっかり忘れていた潰れているチャリがいた。またお尻に刺激がくるなーやだなー。というかなんで後輪は正常なのに、前輪だけパンクしてるんだよ。やたら、前だけガッタガタするチャリが鈍い音を出しながら、元来た道を戻る。変な音が出るチャリのおかげで、皆さんキョロキョロしてた。いや、この自転車からだよ、犯人はこれだよ。そんなこと教えたくはなかったので、そそくさと立ち去る。ボコボコに揺れながら、やっと私のオアシス、自転車屋が見えて来た。これで全てが終わる。そう思って、店内に入る。

スミマセーン、ちょっとタイヤ見てもらってもいいですか?

数分見てもらったところ、タイヤに穴が空いているか、差し込み口が壊れているかのどちらかだと教えてもらった。とりあえず早く直して帰りたいので、今日中に修理してもらうようにお願いした。1日かかるかななんて思ってたけど、当日でできるんだね。30分くらい待っていると、あっという間に呼び出された。

大きい穴ができていたみたいで、取り替えておきました。

ありがとうございます。助かりました。

本当に救われた気がして、もう終わるんだガタガタ、やっと解放される…。

あのー、きっとこれ空気入れずに走っていたからだと思います。ちゃんと空気入れてくださいね。

安堵の気持ちに、また釘を刺された。罪悪感に苛まれながら、ちゃんと入れようと思った。空気。たかが空気。なめてた。

店から出た時、前から吹く風が涼しかった。乗ってもガタガタしないし、ちゃんと進むし、なんせ速い。というか、進み方で空気が入っているかくらい気づかないものなのか?前に進んだか進まないかの具合さえもわからないような人間だから、きっとこうなったんだろうな。普通はすぐに気づいて、空気いれようってなるんだろうな。自分の感覚なんて信用しちゃいけないな、鈍感野郎。大人になっても空気が入ってるかどうかもわからない。それでもやっぱり大人なんだ。天気は快晴。ものすごいスピードで、狭くて細い道を駆け抜けた。

初めての公開日記。

ついこの間掃除をしていたら、使い途中の写ルンですがでできた。ふと立ち尽くして考えていると思い出した。5年前のことだった。合宿で地方に行っていた頃、たまたま写ルンですを見つけた。スマートフォンが出たてで、手軽にデジタルカメラを持ち歩く時代だったからお久しぶりですという感じだった。懐かしいなぁなんて思いながら、衝動買いした。当時10代だった私は、今見ている景色をフィルムに焼き付けておきたかったんだろう。全部撮らずに少し残しておいて、20代になったらまた撮ってほしいという思いも込めて。

10代の私の思うままのように、20代になってから写ルンですを見つけた。そして、10代の思い出に繋ぐように、20代の写真で埋めた。

自分の忘却能力と記憶力を良く理解していた昔の私には感心した。よくわかってるな。

そんなこともあって、どんなに願っても時間の後戻りはできないという現実を見せられた私は、数年後の私に向かって、文字を書いてみようと思った。どれくらい続くかな。あんまり気張らないようにポツポツ書けたらいいな。あえて、人に見えるブログという形で書いてみようと思う。ちょっとした感情も人に見られるようにしたら、パッケージ化できるから。死んでゆく情緒は袋に入れて取っておきたい。毎日更新できたらいいな。宜しくお願いします。